【新春特別号】短編小説『冬の芦別、故郷の記憶をたどるたび』

公開日:2026.01.09

昨年、大好きだったおじいちゃんが亡くなってから、
私は、1年ものあいだ、帰省をしなかった。

 

帰る理由が減ってしまった。

 

いつも「おかえり」と駅で迎えてくれた人の存在を喪って、
これまでこの街で過ごしてきた時間すらも、一緒に遠くへ行ってしまったように感じていた。

 

それでも年末年始、
東京で働く21歳の私は、久しぶりに上芦別行きの電車に乗った。

 

理由は、はっきりしていない。

 

ただ、一度、故郷に帰る必要がある気がしていた。

電車を降りると、吐く息が白くなった。
冷たい空気が、胸の奥までまっすぐ入ってくる。

 

雪に覆われて久しい芦別の街に足を踏み入れ、駅前の景色を眺めたとき、
急に胸の内になつかしさが込み上げた。

 

街は雪に覆われて、光が届かない。

 

まるでモノクロ写真の中のような風景が広がっていた。

――慣れてきた東京の街。

 

あの街と、ここ芦別の街は何もかもが違う……。

 

実家に向かって街を歩いていると、同級生にばったり再会した。
同じ高校を出たはずなのに、私と彼の選んだ道は違っていた。

 

「生まれた土地で恩返しがしたいんだ」

 

高校の教室で話す彼のすがたを、ふと思い出す。
あのまま、ほとんど変わらない彼が、変わらずこの街で暮らしていた。

 

「東京はどう?」

 

「楽しいよ。でも……」

 

何かを言おうとして、言葉が出なかった。
言い淀んだ私を見て、彼はふわりと話題を変えた。

 

彼は、高校を卒業するとき、生まれた街を出ない選択をした。
そして、いまも、昔とそう変わらない日々を暮らしているのだという。

 

派手な話はないけれど、と、笑いながら
日々の出来事を、おだやかに話してくれた。

 

「――ここって、何もないって言われがちだけどさ。

 ちゃんと見たら、面白いこと、やっぱあるんだよね」

 

彼と道端で別れたあと、
その言葉が、私の中で静かに尾を引いた。

 

夕方には実家にたどりつき、暖かい家で家族と新年を過ごした。

翌日も、ひとりで街を歩いた。


私にとってこの街は、観光地でもなく、特別な場所でもない。

 

それでも、なじみ深い街並みを歩くにつれて、
忘れていた記憶が呼び起され、
足を止めたくなる風景がいくつもあった。

ふと、雪に覆われた空き地のそばで、立ち止まる。

 

小さいときに、同い年くらいの友だちと何人かで、ここで遊んだ。

近所の猫がたまに顔を出しては、のんびり昼寝をしていたっけ。

 

白い雪に埋もれた遊具に視線を向ける。
そのあいだから、ちらりと顔をのぞかせたのは、一匹の猫。

 

「あっ」

 

もしかして、あのときの……。

 

「――タマ?」

生まれ育った街を離れず、芦別に根を張っている同級生と会って嬉しい反面、
東京に出た自分が、まるでよそ者にでもなってしまったような気分だった。

 

けれど、いまも、気ままに暮らすタマを見て
なんだか、気持ちがほぐれた。

 

タマはちらりとこちらを見た。

 

見知った顔に会った、というような表情をしながら、
しかし立ち止まることなく、真っ白な道をのそのそと歩いて行ってしまった。

数日後。

 

帰りの電車を待ちながら、
私は駅のベンチに腰を下ろした。

 

上芦別駅の赤いベンチ。

 

いよいよ東京へ戻らなければならない。

 

故郷に感じていた距離はいつの間にか消え、
電車の時間が迫るにつれて、だんだんと名残惜しい気持ちになった。

 

同級生たちは、たまに会ったりしているのだろうか。
先生たちは元気にしているだろうか。
学校帰りによく寄ったあのカフェは、いまも営業しているのだろうか。

 

――長い冬のただ中にあるこの街が、春になったら。

 

「春になったら、また、帰ろうかな」

 

そのときは友人たちと連絡を取って、
芦別の街をぶらぶらと歩いて、お茶でもできたらいいな。

 

会いたい人に、会えたらいいな。

 

そんな考えごとが思ったよりも楽しくて、あれこれと思いめぐらせていると、
電車の接近を知らせるチャイムが鳴った。

 

私は、小さくまとめた荷物を肩にかけ、立ち上がった。
まずは、札幌を目指して。

 

そして、来たときよりも晴れやかな気持ちで、
私は芦別を去った。

天気
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